明治元年までの513年間、山形の政治・軍事の中心だった山形城。
1600年、上杉軍の直江兼続が侵攻してきた時に、霞がかかって攻撃を防いでくれたという伝説から、又の名を「霞ヶ城」。
その城跡が霞城公園だ。
南北朝時代の1357年に斯波兼頼が築き、子孫の山形藩祖・最上義光(もがみよしあき)の時に三の丸まで拡張された。
その大きさ、実に南北1.9km・東西1.6km。日本有数の規模を誇る平城であった。
現在、二の丸までが公園になっているが、それでも面積は33万u以上。大手門や本丸一文字門などが復元され、昔の姿を蘇らせつつある。
約1500本ある桜のうち、8割ほどは樹齢100年級のソメイヨシノ。
これらは日露戦争(1904〜1905)の戦勝記念に植えられたものだ。
霞城公園の桜の魅力。それは花と水との競演にある。
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100年を経た古木らは、高い土塁の上から堀の水面すれすれにまで枝を伸ばし、静かな水面に花影を落としている。
これが城の四方に1000本以上!あたかも城全体から花があふれ出したかのような景観には、躍動感すら感じるほどだ。
夜にはライトアップも行われ、城と桜の幻想的な艶姿を求める、おおぜいの夜桜見物客でごった返す。
また、桜名所として特化するかのように、桜の植樹が進んでいる。
2008年には南門脇のテニスコートを潰し、新たな桜広場が誕生した。
ここを更なる桜の城にすべく、着実に歩みを続けている。
最後に、霞城公園では”日本で唯一”という桜風景が見られる。
すなわち「城と 桜と そして新幹線」である。
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東の堀端に走る線路は、山形新幹線(と奥羽本線)。高架式でなく、かつ桜咲く古城すれすれに走る新幹線なぞ、他に存在しない。
(秋田新幹線も同じ方式だが、こんなロケーションは 無い)
上記3点セットを同一アングルに収められたり、新幹線の車窓から花見ができたりする山形新幹線は、沿線に花の名所が多いこともあって、又の名を「花見新幹線」とさえ呼ばれるほどである。
かように様々な楽しみ方ができる桜名所、それが霞城公園だ。
また東西南北、それぞれに異なる表情を持ち合わせているので、以下で簡単に紹介してみよう。
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