(2004/8/22現在の情報)
会津藩預かりで京都の治安維持にあたった「新撰組」は有名ですが、 庄内藩預かりで江戸の治安維持にあたった「新徴組」て言うのもいます。 最期まで剣に生き、悲壮ながら華々しく散った新撰組に対し、剣を鍬に 持ち替え、庄内藩士の有志と共にここで荒野を切り開いて、この地の土と なった新徴組はいまいち知られてないような気がします。 ・・・気がしますレベルじゃないか。完全にマイナーだわな。地元民もよく 知らないみたいです、こんな歴史。ま、親方の庄内藩も会津藩と同じく戊辰 戦争で中心的に活躍した割に、城下が焼けるまで徹底抗戦しなかったのと 戦後あっさり薩摩と仲良くなっちゃったせいか、こっちもマイナー路線だし。 隣の県なのに、県民性がえらく違うもんだなあ。 脱線が過ぎました。まあその庄内藩士と新徴組3000人の血と汗と涙の 歴史がここにあるっちゅう訳です。訳ですけど・・・ その肝心な開墾に関する展示は、5棟ある巨大農作業小屋のうちたった 1棟、その2階建ての建物の1階部分3分の1くらいしかないんですわ。 残りのあり余ったスペースで何をやってるかといえば・・・ |
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でお茶を濁してるとしか思えん!その無茶っぷりを紹介して参りましょう。 |
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●開墾記念館(1番蚕室) これと同タイプの4・5番 蚕室で開墾の歴史などを 展示してます。明治8年の 建造時そのままの姿です。 ちなみに5番まであります が、公開してるのは2つ。 3つは開拓士の子孫に よる現役の施設だってのも 脅威。築130年だぜ! |
5番蚕室の1階。開墾史展示の残り 3分の2がこれ。日本各地の土人形が 広い空間いっぱいに並んでてある意味 壮観。開拓士の末裔のコレクションだ そうだけど、こっちの方が充実してる ってのは考えもんだろう。 |
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その2階部分。だだっ広さがよーく 分かる。全長37.8m、奥行9mです。 ちなみにここでは庄内の昔の様子を 写した写真が展示されてて、これは これで実に興味深い。 |
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●4番蚕室 「庄内農具館」と 称する館内にこんな 物がある等と、一体 誰が予想できる! 展示の理由「土に 生きる生活文化の 資料だから」・・・ 「ご自由に叩いて 下さい」だ、そうだ。 パーカッション屋 諸君よ、集え! |
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うわあ本物だよ、 このジェゴック。 好き勝手にこんな楽器を叩ける場所 なんて、そう無いん じゃないかなあ? しかしどういう選考 基準で揃えてんだよ ここの展示物って。 致道博物館といい 庄内の人のセンス って・・・俺大好き! |
●新徴組屋敷 ページ初頭で触れた「新徴組」が開墾 生活をしていた家です。質素です。 当時の苦労がうかがえて、農具館で 受けた衝撃をしばし忘れさせてくれます |
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●「庄内の米作り用具」収蔵庫 重要有形民俗文化財とやらに指定 された昔の稲作道具を展示するために 敷地内に新築した建物。つまんなさそう だって?まあ10や20程度ならそうかも 知れませんが・・・・ |
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収蔵品実に1800点。いわば農機具 の連合艦隊。これだけずらり並んでると 数の脅威によってなかなか壮観です。 |
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写真では分かりにくいんですが、この 水車、人の背丈くらいあります。 こんなのが大量かつ無造作に転がし てある施設ってのも、そうは無いと思う けどなあ。一見の価値あり。 |
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