最上川舟歌を熱唱する船頭さん

2005/7/17更新


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  五月雨を 集めて早し 最上川

 有名な俳句ですな。元禄2年(西暦1689年)松尾芭蕉がみちのくの歌枕※を訪ねた

 「おくのほそ道」シリーズでも代表作の一つ。

 ※この場合は和歌を詠むときのネタになる地名。「忍ぶ」にひっかける福島県の「信夫山(しのぶやま)」とか、逢うにひっかける滋賀県の「逢坂の関(おうさかのせき)」なんかがまんまストレートで定番どころね。

 最上川も歌枕になってて、芭蕉が参考にした歌は、この二首だろうって言われてます。

    「最上川 水かさまさり 五月雨の しばしばかりも はれぬ空かな」 (続千載集)
    「最上川 のぼればくだる 稲舟の いなにはあらず この月ばかり」 (古今和歌集


 意味?両方ともラブレターだよ。聞くだけ野暮さ。

 もともと最上川は日本三大急流の一つ。

 よく「三大夜景」だの「四大祭り」だのって奴はメンバーが入れ替わったりしますが、三大急流は最上川静岡の富士川熊本の球磨川が不動のメンバーの様です。

 ちなみに五月雨ってのは5月に降る雨じゃ無く、梅雨の別名です。
旧暦の5月は今だと6月前後。つまり梅雨の事を五月雨と呼ぶ訳です。

 芭蕉が最上川を下ったのは旧暦6月3日2005年の新暦だと7月8日になります。

 梅雨明けには早いし、それに加えて山から残雪の雪融け水まで加わるんだから、そら只でさえ速い流れがますます速いわな。

 てな事を認識はしてましたけど、この度ふと気がついた。芭蕉が言う「早し」は、実際どんだけ早いんだか体感としては全く知らんぞ、と。

 思い立ったが吉日。丁度7月5日休みになったし、芭蕉が「水みなぎって舟危うし」と恐れた時期の最上川を下ってみようってんで行ってきましたよ。

 以下「五月雨を 集めた川は どんなんだ」体験リポートです



 「実感してみよう」って時に丁度良かったのが観光船「最上川舟下り 芭蕉ライン」

 芭蕉が下ったのは戸沢村古口から庄内町(旧・立川町)清川まで。これだと名前の通り芭蕉が舟下りしたルートとほとんど同じコースを舟下りできます

 ところで松尾芭蕉が舟で最上川を下ったってのは、別に風流を求めてってな訳じゃないんです。当時、ここでは舟が最良の交通手段だったからに他ありません。

 ここは通称「最上峡」。その名の通り川の両岸は山々がそそり立ち、JR陸羽西線と国道47号線が崖にへばりつくように走ってます。
 これが出来る前じゃ、危なくてとても歩いて通る気にはなれなかっただろう。

 

 さて、乗船券(1970円)を購入して五月雨の最上川へ。

 おお、みなぎっている!冬に来たときはこの階段、下まであったし、船着場も陸と繫がってたぞ!たしか・・・
 
 仮設橋を渡って船着場へ。むろん橋の下は水たまりじゃなくて川だから、だうだうと流れてます。のっけから急流の洗礼です。

 五月雨時分の舟はこんな奴。船体は冬場と同じだけど暖房はなく、囲いがガラスからビニールになってます。雨が上がればめくり上げて景色を直に楽しめるのがミソ。
 昔みたいに「舟危うし」ってな事はいままで無いそうな。

  ところで、昔の舟を復元した小鵜飼舟(こうかいぶね)ってのもあって、天気がよければ一日2回ほど運行されます。

 危うし感を体感するにはそっちのほうが良さげだけど、残念ながらこの日は運行停止。
危ういからじゃなくて、屋根がないから雨に弱い為らしい。

 折り良く雨も止んでくれましたんで、覆いを上げて出航です。やっぱ流れは速い速い。
冬に下った時の感覚で撮影ポイントにカメラ向けても間に合いませんでしたよ。

 もとより撮影のウデが悪い管理人のこと。更に流れの速さに慌ててシャッターを切ったりしたんで、ブレたり露光が合わなかったりで今回の画像は全体に悲惨の一言。

 でも、流れは速いものの、この時期にしては珍しく風が弱かったので川浪もさほどではなく、船は思ったより揺れませんでした。

 ここ最上峡は日本三大悪風とまで言われる「清川だし」(別名:庄内町の電源※)の激しい所としても知られる場所ですが、これって梅雨時がピークなんですわ。

(三大悪風=他に岡山県・那岐山南麓の「広戸風」と愛媛県・東予地方の「やまじ風」)

 ※2005年7月1日、立川町と余目町が合併して「庄内町」が誕生しました。
旧立川町は最上峡の出口に位置し、清川だしをモロに受ける悪風の地。この風を生かして風力発電を始めたって話はNHKの「プ○ジェクトX」でも放送されたんで、見た方もいるのでは?)


 この頃だと風速10m前後、時には風速15~20m以上という、台風並みの強風が4日に1日は吹くって話だし、この観光船は年に3日と休まないと豪語してるから、強風が吹いても運行するんだろう。結構な確率で強風に出会えます。

 つまり芭蕉が下ったこの時期は、日本三大急流・最上川の流れが最も急な時期であり、かつ日本三大悪風・清川だしの最も強く吹く時期でもあるって訳。

 強力タッグの連携攻撃。そりゃ昔なら「舟あやうし」だわな。

 などどだらだら書いてる内に、舟はすっかり峡谷に入っちゃいました。
両岸には雨に烟る新緑の山が川面からまっすぐそそり立ち、冬とはまた違った風情を漂わせてます。

 そんな幽玄な風景をよそに、名物船頭は山形弁で飛ばしてます。
今日の人はネイティブじゃないらしく語尾の締め方に甘さが残るものの、山形人として十分通用する高いレベルを保持してます。

 日々の研鑽、さぞ苦労した事でしょう。プロを見た気がします。

 さて、いよいよ舟下り最大の難所に差し掛かりました。
中州で川幅が狭まり、ただでさえ速い流れが更に増幅されます。

 確かに、今までだと下ってるって感じでしたけど、ここは「押し流されてる」ってな感じでグングン舟は進みます。

 川幅も狭いし、更に強風まで食らった日には昔の舟じゃあキツかったろう。

 最上川舟運が華やかなりし頃、この中州は難破の多発地帯で、転覆した船頭がここにしがみついて救助を待った事から「抱き抱えの瀬」と呼ばれ恐れられた難所です。

 とか船頭さんが解説してるうちに、あっという間に難所は過ぎちゃいます。なんせ流れが速いですから。





 崖にへばりつくように生い茂ってるこの木。そうは見えないけど杉なんです。

 険しい崖で下は急流。風も強くて雪も多いという、厳しすぎる環境に適応したってのと、難所だったせいで人の手がほとんど入らなかったお陰もあって出来上がった、樹齢1000年級の奇形木「土湯杉群生地」です。

 ここは別名「幻想の森」。舟下りと併せてこの森をトレッキングするネイチャートレッキングってコースもありますんで、ご興味のある方はどうぞ。

 川べりの建造物は国道47号線の「スノーシェード」。豪雪地帯ならではの雪・雪崩よけの鉄骨とコンクリートの覆いです。


 行程も半ばにさしかかった頃、岸辺に見えるこの建物。売店です。トイレ休憩したり、食い物や飲物を補充して残りの旅路を楽しもうって寸法。

 酒なんか飲むのも風流かも知れんが、私ゃ車で来てんだ。団子で我慢しとこう。

  大ぶりで甘しょっぱくて、結構オツなもんでした。鮎の塩焼きなんかも良かったかも。

 この辺は川も蛇行し、両岸に滝や奇岩が顔をのぞかせるようになります。いずれも小ぶりでスケール感には乏しいものの、48滝といわれるだけあって多彩で個性的。

 また義経伝説がこじつけられてる奴とか、変な名前が付いてる奴とかもあり、船頭さんが要所要所で解説してくれます。

 因みに下の画像、右端の滝は「尻滝」。歌人の正岡子規が芭蕉を偲んで最上川船下りをした時命名したそうな。

 余談ですが、「轡」の読み仮名を予習していくと船頭を驚かせられますよ。

 ほんまもんの義経ゆかりの地、「仙人堂」(画像右)や最上峡最大の滝「白糸の滝」に
さしかかると船旅もいよいよ大詰めです。

 このへんは山の中っぽいけど日本海まで30キロほどだから、カモメも飛んできます。
こいつらスタートしてから終点近くまでずっと付いてきてたけど、松島とかの遊覧船みた
く観光客に餌付けされたか?

 最期まで読んで下さったあなた。長のお付き合い、ありがとうございました。

 しかし芭蕉という方は、俳聖と言われるだけあって凄いですね。
たった17文字でこの時期の舟下りの情景から空気感まで、見事に表現してしまうんですから。

 実際下ってみて実感しましたよ。全く完璧に芭蕉の詠んだ通りです。

 しかし文才が無いってのは悲しいですね。
これだけだらだら長文を連ねておいて、芭蕉の句の半分もあの情景を伝えられないんですから。

 実際読み返して実感しましたよ。全く完璧にポイントずれてます。