江戸幕府が倒れて明治・大正時代になると、いままで徳川家に遠慮して(?)、おおっぴらに自慢できなかった郷土の戦国武将を祭り上げ、神社を創建するブームのようなものが起きました。
武田信玄を祀る山梨県甲府市の武田神社(大正8年創建)や、真田幸村・昌幸を祀る長野県上田市の真田神社(明治12年創建)などを参拝しましたが、どこも愛があっていいですね。
案内看板やパンフレットなどに「我が町の英雄」に対する熱い想いがにじみ出てます。
山形にもそんな「おらが英雄」神社が幾つかあります。
その代表格がここ「上杉神社」。
ご祭神は戦国最強武将とも言われる、あの上杉謙信です。
「ちょっと待て!上杉謙信は越後の龍だから新潟だろ!」
と思ったあなた、ごもっとも。
確かに彼の拠点は新潟県上越市の春日山城だし、その主戦場は中部・関東・北陸方面だったんで山形県内に足跡は残ってません。
ただ謙信の二代目・上杉景勝が関が原合戦の時、西軍・石田光成に味方して徳川家康に反したため、領地の一部だった米沢に減封される羽目に。
その引越し時、上杉謙信の遺品から果ては遺体まで全部米沢に持ってきてしまいましたから、越後にも当時の本拠地会津にも、謙信ゆかりのグッズはほとんど残ってないって訳。新潟の皆さんすいません。
(遺体は上杉家御廟所に眠ってます)
でもまあ、ここ米沢城にも「元ゆかりの地だったけど今は何も無い」的な戦国武将がいます。
彼の名は伊達政宗。仙台のあの方本人です。
米沢城は本来伊達家の居城。政宗もここで生まれたから、本当の意味で言えばおらが英雄は政宗になるんでしょうけど、秀吉・家康の国替え以来すっかり縁遠くなり、彼のゆかりの物なんざまるっきし残ってませんし、ほとんどの米沢市民もそんな事思ってません。歴史の皮肉ですな。
ここ上杉神社は江戸時代250年の間ず~っと上杉家の居城だった所だから、謙信の遺品は代々大切に保管されてました。
そのお陰で完璧な保存状態の上杉謙信ゆかりの品々を拝見できる、戦国武将好きには垂涎のスポットでしょう。
そんなお宝を展示してるのが宝物館「稽照殿」(けいしょうでん)。
重要文化財だけで130点以上を誇りますが、謙信関係で代表的なものを幾つか挙げて見ましょう。
◎色々威腹巻→稲綱明神前立が印象的な室町末期の鎧の逸品。
◎毘・龍の軍旗→有名な謙信本陣の象徴・毘旗と総攻撃の軍旗・龍旗。あれのホンモノ。
◎毘沙門天画像→毘沙門天を信仰していた謙信が、実際に拝んでいた実物!
◎緋羅紗陣羽織→ストイックなイメージのある謙信ですけど、こんなの見ると結構お洒落。
◎烏帽子形白綾頭巾→謙信といえば頭巾。川中島の戦いの際に着用したあの白頭巾!※
※って、多分皆さんの想像してるほっかむり頭巾じゃないですよ。
「甲陽軍鑑」の武田信玄との一騎討ちの件で「白手拭にてつふりをつつみ」(白の手ぬぐいで頭を包み)なんて書かれてるからそんな誤解が生まれたんだろうな。
あの書物は事実に基づくフィクションです。ハナシとしちゃこっちの方が面白いんだけどね。
ところで、上杉家は謙信だけの家ではありません。二代目景勝も後継者の名に恥じない名将だったし、その腹心だった直江兼次、更に江戸時代を代表する名君、上杉鷹山(治憲)なんて所が全国区の歴史上人物でしょう。無論彼らの遺品も多数公開してます。例えば・・・
◎紫色威伊予札五枚胴具足→上杉景勝着用の甲冑。上杉家の竹に雀紋でなく、豊臣家の桐紋を付けて忠誠をアピールしたって言う、歴史的価値の高い鎧。
◎「愛」の前立甲冑→直江兼次愛用の品。その筋ではかなり有名なインパクト絶大の名品。
兜に燦然と輝く金色の巨大な「愛」の一文字。
◎上杉鷹山「伝国の辞」→鷹山が11代治広に示した、政治の要諦を記してある名文。
◎矢尾板惟一筆「鷹山公肖像」→上杉鷹山といえば必ずでてくるあの肖像画。
他、刀剣、絵画、書跡、武具、服飾など1000点を越える貴重な品々が収蔵されてますから歴史好きなら押さえておきたい所です。
また、ここは建築物好きにとっても見逃せないポイント。社殿の設計は米沢出身で建築学の権威、伊藤忠太。
出雲大社、明治神宮、平安神宮、弥彦神社、築地西本願寺別院なんて建物は、行ったり写真見たりした人は多いんじゃないでしょうか?あの設計者です。
伊藤忠太といえばエキゾチックな無国籍風の建物や、要所に据えられた怪物像で知られるアクの強い方ですが、実に落ち着いた風情に仕上がってます。
春は桜が見事だし、米沢来たら外せないスポットの一つじゃないでしょうか。
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